「供養」というライフハックー冠婚葬祭から見る幸福論

17/12/04

「ライフハック」に恋する現代人たち

2005年に流行語となり、現在もたびたび目にする言葉「ライフハック(LifeHack)」。もともとは仕事の効率を上げるためのテクニックを指す言葉でしたが、徐々に定義が広がり、最近では「人生のクオリティを上げるための工夫」についても指すようになりました。

本来の意味であれば「Workhack(仕事をハックする)」でも通じるところを「Lifehack(人生をハックする)」と表しているところに、仕事の効率化と高い生産性が、人生のクオリティに繋がっているという意向を感じます。しかし、本当にその「幸福へのロジック」は合っているのでしょうか?

ライフハックのイメージ図

しあわせは、どこにあるのか?

世界一のIT企業であり、現在アメリカで最も働きたい会社であるGoogle社。そこで開発された「Search Inside Yourself」という脳科学に基づいた啓発プログラムがあります。そのプログラムの主軸である「マインドフルネス(瞑想)」というメンタルケアは、アメリカのビジネスマンを中心に広がり、2016年には日本でも大ブームを巻き起こしました。

元々、そのプログラムが生まれたきっかけというのが、「仕事で高い成果が出ることと、自分の幸せが必ずしも結びつかない」と開発者が感じたことからだったといいます。マインドフルネスをはじめとした、昨今の「心の豊かさ」を高めようという動きは、「ライフハック」という言葉にこめられた幸福へのロジックー仕事の効率や生産性を上げ、使えるお金や時間を増やせば、幸せになれるーの限界を証明しているようにも受け取れます。

マインドフルネスのイメージ図

「弱さ」を自覚し始めた現代人たち

戦後の日本文学界を代表する作家・三島由紀夫氏が、死生観について語ったインタビューで、このような発言があります。

”人間の生命というのは不思議なもので、自分のためだけに生きて、自分のためだけに死ぬというほど人間は強くないんです”

「お国のために」と大義を掲げ、技術や資源は乏しくとも、協力しあって生きてきた戦中戦後の人々。一方、技術が進み、物質的にも豊かになり、繋がりを持たずとも自分のためだけに生きやすくなった現代人。三島由紀夫氏が示唆した人間の「弱さ」を感じるには、充分な条件が揃っている現代において、「心の豊かさ」への渇望は当然の結果のようにも思えます。

戦時中の画像

一人では生きられないことの幸せ

協力し合わなければ生きていけなかった時代から、一人でも生物的には生きていけるシステムが整いつつある現代。しかし、自分のためだけに生きていこうとすればするほど、精神的な豊かさから離れていく現実。結婚をして家族を持つことも、生きるためではなく、人生を豊かにするための選択肢の一つとなった今、改めて、人との繋がりを尊重する「冠婚葬祭」の在り方が問われています。

「結婚するのは誰のためなのか」「供養をするのは誰のためなのか」ライフスタイルの変容とともに、形式的には簡略化の傾向にある冠婚葬祭ですが、時代がどんなに変化しようとも、変わらない本質がそこにはあると思います。それは、自分のためだけでもなく、相手のためだけでもなく、「私たち」の幸福を追求しようという、自利利他の心です。

結婚式であれば、一組の人間がともに幸せな人生を歩んでいくことを誓います。葬儀であれば、故人のあの世における幸福を願い、かつ、遺族が死を受け入れ、再び人生を力強く歩んでいくことを助ける儀式です。そういった意味では、一見異なる様相の二つの儀式ですが、根底にあるものは同じと言えるでしょう。「自分、そして他者のために生きられる幸せ」、裏を返せば「一人では生きられないことの幸せ」を冠婚葬祭という文化は人々に伝えてきたのかもしれません。

結婚式のイメージ図

「供養」という人類だけのライフハック

しかし、こと結婚においては、3人に1人の男性が生涯未婚となる時代。年々高まる生涯未婚率からも、必ずしも結婚を選択しない人生も増えていくことが予想されます。一方、葬儀や供養というのは、人類が「死」から解放されない限り、誰もが通る道です。そして供養とは、人類だけに与えられた想像力のなせる業(わざ)でもあります。

もしかしたら、私たちが本当にハック(仕組む)すべきは、仕事のやり方でも、早起き術でもなく「人間としての弱さ」なのではないでしょうか?そして、供養とは、先祖が伝え続けてくれた人類最古の「幸福へのライフハック」なのかもしれません。

供養のイメージ図

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