18/01/30
皆さまは、「茶筅(ちゃせん)」という道具をご存知でしょうか?茶道でお抹茶を点てるための茶道具なのですが、文京区にある大本山護国寺では、この茶筅を供養する行事が、毎年十二月に開催されています。針供養や人形供養などは聴いたことがあるかもしれませんが、茶筅も供養されてきたことは、中々知られていないのではないでしょうか?
このたび、昨年十二月三日に開催された大本山護国寺の「茶筅供養」に、一般社団法人供養の日普及推進協会のスタッフが、取材で参加させていただきました。また、茶筅供養を主催する東京茶道会の理事長であり、遠州茶道宗家十三世家元の小堀宗実氏にお話を伺うことができました。
使い古した茶筅に感謝をこめ、焚き上げて供養するという「茶筅供養」。当日は、朝早くから各流派の家元や茶道教授および関係者、そして僧侶が集まり、供養に向けて準備をしていました。準備が整うと、お経を読み上げる僧侶の方たち。
各流派の家元によって、焚き上げられていく茶筅。対象は「無生物」でありながら、供養の一部始終を通し、茶筅へ向けられた深い敬意は、「無生物」以上のものでした。
そして、供養が終了したあと、小堀氏に茶筅供養や「ものとの向き合い」について、インタビューをさせていただきました。お茶を点てるだけではなく、「もの」と真剣に向き合うことで、おもてなしを表現する茶道の精神を感じていただければと思います。
――本日は茶筅供養に参加させていただき、ありがとうございました。どうして「茶筅」の供養が行われるようになったのでしょうか?
小堀氏:茶道に用いるお道具というのは、代々受け継がれて形として残るものもあれば、消耗品として、いずれ処分するものもあります。その消耗品の代表が、お茶を点てる時に使う茶筅です。そして、どんなにお道具がたくさんあって、お抹茶やお椀があっても、茶筅がないとお茶を点てられません。言わば、茶道にとって茶筅とは、一番大事なお道具なのです。普段は、お茶碗やお茶入など、形として残るお道具を念頭に置きがちですが、そういった茶筅の存在に想いを馳せ、感謝をしようということで、茶筅供養が行われるようになりました。始まりは昭和44年、東京茶道会で護国寺に茶筅塚を建立しまして、毎年12月の第一日曜日に、茶筅供養会を開催しております。
――茶筅というのは、どれくらいで消耗されるものなのでしょうか?
小堀氏:使用頻度にもよりますので、正月から使っているものもあれば、つい最近の11月から使って供養に出される茶筅もあります。お客さまには、常に新しく清浄な茶筅で、お茶を点てることが大切なので、頃合いを見て新しいものに替えていきます。ただ、古くなって傷んだ茶筅でも、穂を少し割って、それでお茶をなおしたり、ごく一部分ではありますが、別の用途として生まれ変わらせます。最後まで生命をまっとうさせる、つまり、道具としての役割を果たさせる。それが茶道の一つの表現の形なのです。
小堀宗実 氏(遠州茶道宗家十三世家元/東京茶道会理事長)
――茶道では、ものを尊重する精神があるのですね。では、消耗品ではなく、お茶碗などのお道具が壊れた場合は、どうするのでしょうか?
小堀氏:無傷で壊れていないものを壊さないようにする、大事に粗相のないようにすることが第一の基本ですが、万が一そういうことがあっても、それを救う道、別の役回りを持たせていくことを考えます。もし、お茶碗が割れた場合でも、割れたところをつなぎ合わせて、修繕して使います。もちろん、割れる前のような完璧な状態には戻りませんが、茶道の世界では「不足の美」という価値観があり、何か欠落している状態、完全ではないことも愛でる精神があります。
――「不足の美」とは、具体的にどういうことでしょうか?
小堀氏:たとえば、古い時代からつなぎ目のあるお茶碗をお客さまが見て、「ここがつながれていますね」「実はこういうことがありまして…」と、そのお茶碗の歴史上の話題が生まれます。そういった会話を通して、欠落した部分を皆で補っていく。なので、完璧だから良いということではないんです。100%完全無欠だと、どうにも入っていけないというか、むしろ跳ね返されてしまうこともある。でも、ちょっと足りない部分があると、それが逆に愛おしいという気持ちが生まれてくるのです。
――どんなお道具にも、それぞれの役割を見出していくのですね。
小堀氏:そうですね。私たちが使うお道具には、お客さまにお出しするものと、普段使いのものがあります。普段使いというのは、名物道具となっているものではなく、裏方で使うお道具です。けれど、大晦日のお茶会では、あえて普段使いのお道具を一つ二つ、お客さまの前にお出しすることがあるんです。
――それは、どうしてでしょうか?
小堀氏:舞台でいうと、役者には主役、脇役などがありますね。普段使いのお道具というのは、舞台の裏にいる役者なのです。ですので、年の瀬のお茶会という、一年最後の舞台に登場させることで、そのお道具に、脚光を当てさせてあげるのです。そこでもまた、「いつもと違うものが出てきましたね」「実はこれは普段使いで…」という会話が生まれ、そのお道具だからこその「場」が作られます。そうして、それはそれなりに生命力を持って、活躍することができる。なので、割れてしまったお茶碗も、傷があるお茶碗も、基本的には半永久的に使っていきます。お茶碗だと四百年、釜も古いのだと五百年前のものもあります。
――五百年とは凄いですね。たしかに、茶道では歴史のあるお道具を使っている印象があります。
小堀氏:ただ、古いお道具だから大事ということではなく、古いものも新しいものも、そのなかにうまく合わせながら、使っていく。そうすることで、新しいものも、その雰囲気の中に馴染んでいって、数十年後、「これは、いついつのこういう席で使われた一つなんですよ」と、物語が繋がり、次の世代の人たちが受け継いでいくことができるんです。
――ものと真剣に向き合うからこそ、「おもてなし」ができるのですね。
小堀氏:そうですね。茶道のお道具というのは、亭主が季節感や場を考えて選びます。そうして、お客さまにお道具をお出しするとき、そのお道具が経てきた歴史、先人や持ち主の気持ちが顕わになります。茶道にはさまざまな流派がありますが「ものを通じて、気持ちを表現していく」という姿勢は、茶道の根底と言えるでしょう。だからこそ、普段使いのお道具に脚光を浴びさせること、新古を合わせることといった「繋がり」をもたせることを大事にしているのです。
――まるで「供養」と同じような精神ですね。
小堀氏:そうだと思います。年の瀬には、大掃除をしますよね。それは、無事に1年を過ごせたことを、年の最後に感謝するという気持ちを持ってするわけです。そういうのがないと、次の新しい一歩、新しい年を迎えることに繋がってこない。これは茶道だけに限らず、1回1回ぶつぎりに切るのではなくて、常に何かをもって「繋げていく」という気持ちは、非常に大事だと思うのです。これは例えば、ご先祖さまや亡くなった大切な人への供養の気持ちとまったく同じことだと思います。
――ありがとうございます。最後に、このたび新しい記念日として認められた「供養の日」の考え方について、どのように思われますか。
小堀氏:誰にでも、お世話になった人や仲の良かった人、想いのある人たちがいるわけですが、それに対して、現代は時代(とき)の流れが早いから、つい忘れがちでおろそかにすることもあると思います。ただ、自分が今ここにいるのは、自分ひとりでいるわけではないので、それをもう一回思い出す日、振り返る日という意味合いで、そういう日にちがあるということは、とても大切だと思います。それは「供養の日」の九月四日だけに限らず、皆さんの心の中に「供養の日」があれば良いなと思います。
小堀宗実(遠州茶道宗家十三世家元/東京茶道会理事長)
1956 年生まれ。1979 年学習院大学法学部卒業。2001 年 13 世家元を継承。
「茶の湯を通して心を豊かに」をモットーに伝統文化の普及に努め、海外文化交流活動にも積極的に取り組む。
最新著書「日本の五感」(KADOKAWA)他 多数。