18/06/29
引用:菌塚
古今東西、人間は生き物だけではなくさまざまな物質に対しても、敬意を払い供養を行う風習があります。日本では人形供養や包丁供養、鏡供養、針供養が代表的な例といえるでしょう。 特に日本にはすべてのものに命が宿る「八百万の神」という宗教的な考えが根付いているため、身の回り品を大切にし、無用になってしまったときにも感謝しようとする傾向があります。
人形供養や包丁供養、針供養など役目を終えた「もの」に感謝の気持ちを込めて弔う「ものの供養」の歴史は長く、室町時代にはすでに存在していたようです。最近では時代の流れから、パソコンや携帯電話などの電子機器を供養する人もいます。
しかし、「ものの供養」というとどうしても、人形や包丁など目に見えるものを思い浮かべる人が多いようです。これは、見たり触れたりすることができる物に対しては、強い愛着が湧きやすいためと考えられます。
しかし、目に見えないものに対して供養を行う場所も少なからず存在します。 例えば、肉眼では見えない「菌」。一般的に、菌というとネガティブなイメージがありますが、私たちが普段日本食を作るときに使われる味噌や醤油、日本酒などに必ず使われている「菌」は、私たちの食生活に欠かせない存在です。また、医学や薬学の発展も菌失くしては語れません。
そんな菌には数えきれないほど多くの種類がありますが、それらを一斉に供養できる「菌塚」が京都にあります。一体どのようなものなのか見ていきましょう。
菌塚は1981年(昭和56年)に元大和化成株式会社取締役社長である笠坊武夫氏が、京都府左京区にあり、洛北屈指の名刹と言われる曼殊院門跡の境内に建立した塚です。現在、微生物を供養できる日本で唯一の場所として知られています。
酵素工業を一生の仕事とした笠坊氏は、新しい酵素を続々と開発しました。その一方で、開発のために毎日のように火にあぶられて最後を遂げる何千万、何億の菌をあわれみ、感謝・供養したいという願いがあり、財団法人発酵研究所元所長の長谷川武治氏や、東大名誉教授坂口勤一郎氏の協力を得て建立しました。
菌にかかわる人々が犠牲になった無数の微生物を供養することで、人間の身勝手さを反省し菌の尊さを称えたいと笠坊氏は生前願っていました。
さらに、「これら物言わぬちいさきいのちの霊に謝恩の意志をこめて建てたものであるが、同時に菌にかかわる人々が風光に勝れたこの地を時折訪れて、菌塚に話しかけ、しばし頭をやすめるとともに、菌類の犠牲に報ゆる仕事をなしとげることを めいめいが約束できたら、いかにすばらしいかと思うものである」とも語っています。
この言葉から、笠坊氏は菌塚を供養の場所のみならず、酵素工業の未来の発展を託した場所にしたいと考えていたことがわかります。
菌塚の石碑に書かれた題字は、東大名誉教授坂口勤一郎氏によって書かれたものです。裏面の碑文には「人類生存に大きく貢献し、犠牲となれる無数億の菌の霊に対し至心に恭敬して 茲に供養のじんを捧ぐるものなり」とあります。
これは人類生存に大きく貢献しながらも、犠牲となってしまった無数億の菌の霊に敬意を表すとともに、感謝したいという気持ちの表れです。日本を代表する農芸化学者であり、発酵や醸造に関しては世界権威の一人として数えられていた坂口謹一郎氏であるからこそ、菌の尊さを誰よりも理解していたのでしょう。
坂口氏は菌塚建立時に題字のみならず「これのよに ゆかしきものは この君の 四恩のほかの 菌恩のおしえ めにみえぬ ちいさきいのち いとおしみ み寺にのこす とわのいしぶみ 菌塚は とわにつたえめ この君の 菌いとほしむ たうとき みこころ」というお祝いの短歌と、祝言を贈っています。
菌塚の地下には漆塗りの器や枯草菌の遺灰や陀羅尼経の写経が埋められ、現在も毎年5月の第2日曜日に法要が行われています。
引用:量子線化学生物学研究室
目に見えない「菌」を供養するために存在する「菌塚」は、言ってみれば世界で最も小さきものを供養するお墓といえるでしょう。 目に見えないものでさえも供養するという行為は、人間独特の文化です。犠牲となってくれたものを労い、感謝の気持ちをカタチにしたいと願うのは人間の「本質」ではないでしょうか。
特に日本は、冒頭でも紹介した通り、どんなものにも命が宿っていると考える「八百万の神」や、草木のような心のないものも成仏する「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という思想が1,000年以上前から存在していた国です。
無用になってしまったものに対し、感謝の気持ちを込めて供養したいと願う気持ちは、もしかしたら世界で一番強いのかもしれません。 「菌塚」の知名度は決して高くはありませんが、日本には菌塚のようにあまり知られていないものを供養する珍しいお墓がまだまだ存在します。気になる人は探してみてはいかがでしょうか。