18/07/31
2018年7月7日(土)、日本経済新聞の一面に「消費社会に罪悪感 もの供養で償い」という見出しの記事が掲載されました。 この記事では、人形やロボット、携帯電話などの「もの供養」にスポットを当てて、その概念や事例、さらには現代における「お焚き上げ」の変化についても触れています。 もの供養の歴史はかなり長いものですが、なぜ現代になって注目されているのでしょうか。
ものの供養といわれて「人形供養」を思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。実際に、人形供養はもの供養のなかでも、開催数が圧倒的に多く、国内には宝鏡寺(京都府)や所沢神明神社(埼玉県)など人形供養で有名な寺社がいくつかあります。 ひな人形や五月人形で有名な人形メーカー・久月は、第六天榊神社(東京都)でこれまで7回「人形報恩祭」を開催し、人形の「御霊抜き(みたまぬき)」と施主とその家族の健康祈願、さらにはお焚き上げを行っています。
人形供養の歴史は非常に長く、平安時代にはすでに存在していたようです。人形は人間の代わりに災いを背負ってくれるものであり、手離すときには感謝の気持ちを込めて供養しなければバチが当たると考えられていました。
ゴミ捨て場に捨てられた人形・メリーさんが、「今〇〇にいるの」と何度も持ち主に電話をかけ、最終的に「今あなたの後ろにいるの」と告げる。振り向くと捨てたはずのメリーさんが…という怪談を聞いたことがある人も多いでしょう。この話は、人間が人形に対して潜在的な畏怖や敬意を持っているためにつくられた都市伝説といえます。 昨今では人形を飾る家自体が減り、これまで飾っていた人形を供養する人が毎年1割ずつ増えているようです。
引用:朝日新聞デジタル
前章で紹介した人形供養以外にも、さまざまなものの供養が全国各地で行われています。
江戸時代から続く針供養や鏡供養が有名ですが、最近では少し変わったものの供養が注目されているのです。
例えば、ソニーが開発した犬型ロボットのAIBO(アイボ)。元ソニーの技術者であった乗松伸幸氏が経営するA・FUNは、持ち主の心をなぐさめるために2015年1月よりAIBOのお葬式を執り行っています。2018年4月26日には千葉県いすみ市の光福寺で第6回目の葬儀が開かれました。
また、日本ケンタッキー・フライドチキンは1974年から毎年、東伏見稲荷神社(東京都)と住吉大社(大阪府)で「チキン感謝祭」を開催しています。犠牲になってくれた鶏たちに感謝の気持ちを表す慰霊祭ですが、世界に展開するケンタッキー・フライドチキンの中でも開催しているのは、日本だけなのだそう。こういったところからも、日本のものに対する意識が強いことがわかります。
供養の日時はAIBOのように年ごとに違うものもありますが、ハサミの供養祭(8月3日)や眼鏡の供養祭(10月1日)のように、そのものの記念日に行うことも少なくありません。眼鏡の供養祭は少し珍しく感じますが、目の神様として知られる葛城神社(徳島県)には「めがね塚」が建っていて、10月1日にはたくさんの人が供養に訪れています。
ものの供養は年々注目が高まっていて、供養したいものを郵送で受け取ってくれる国上寺(新潟県)には、さまざまなものが送られてきているようです。 供養代行サービスを手掛けるクラウドテンが行ったアンケートでは、98%もの人が「供養したいものがある」と回答したことがわかっています。
もの供養が広まる背景として、戦後の大量消費社会に罪悪感を覚え、「ものを大切に」という教訓を見直す人が増えていることが挙げられます。
また、「お焚き上げ」の意味が変わってきているのも理由のひとつです。本来お焚き上げとは、不要になったものに感謝の意を捧げ、浄化することでしたが、最近では「気持ちの整理をして前を向くための行為」として捉えられる人が多いようです。失恋などの悲しみを文章に表して、自分自身を客観的に見つめる行為を「お焚き上げ」と表現する人もいます。
「供養」には悲しいイメージがつきものですが、前向きにとらえる人が増えたことは大きな変化といえるでしょう。
日本経済新聞の記事では、解剖学者の養老孟司氏は「日本人は“ものにも魂が宿る”と考え方をし、ものを一緒に生きてきた(=共生)仲間として見る向きがあると語っています。 もの供養は、仲間であるものを供養することで「共生の意味」を見直す行事といえるでしょう。