18/11/13
「供養」は、けっして人間に対してのみおこなわれる行為ではありません。「もの」を供養の対象にした「鏡供養」や「人形供養」を聞いたことがある人も多いでしょう。
このふたつのように歴史が長いメジャーな「物供養」がある一方で、あまり知られていない供養も存在します。調べてみたところ、マイナーな物供養の多くは近年に作られていることがわかりました。
なぜ現代になっても新しい供養が作られ続けているのでしょうか。今回はさまざまな供養が作られる背景とともに、珍しい供養を紹介します。
引用:さんち 〜工芸と探訪〜
「八百万の神」の考えが根付く日本では、古くから「付喪神(つくもがみ)」の存在が信じられていました。
付喪神とは生まれて100年が経過した「もの」に宿る神様のことで、「九十九神」とも表記されます。付喪神のすべてがよい神様とは限らず、なかには災いをもたらす神様もいるようです。悪い付喪神に憑かれないために、100年目を迎えるものに対して供養をおこなうことが「物供養」の由来とされています。
子どもの頃に「提灯お化け」や「唐傘お化け」の妖怪話を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。それらはすべて付喪神の化身といえるでしょう。
私たち日本人の付喪神に対する畏怖心を和らげるために、現代になっても新しい供養が作られ続けているのではないでしょうか。
参考・参照サイト:AERA dot. (アエラドット)
引用:アーバン ライフ メトロ
供養が作られる目的は、決してひとつだけではありません。たとえば、これまでの業界の発展と、今後の繁栄祈願を目的として作られた供養もあります。
天台宗の僧・天海によって作られた上野恩賜公園の不忍池(しのばずいけ)弁天堂で、毎年開催されている「眼鏡の供養会」がそれです。
なぜ、不忍池弁天堂なのでしょうか?それは天海の死後、「眼を慈しむ」と書いて「慈眼大師(じげんだいし)」と読む諡号(しごう)が付けられたことに由来しています。天海の諡号にちなんで、昭和43年には「めがね之碑」が敷地内に建てられました。
めがね之碑の前でおこなわれる供養会は2013年にはじまり、毎年眼鏡の日である10月1日前後に開催されています。この日には東京眼鏡販売店協同組合をはじめとする業界関係者が集まって、眼鏡業界の発展と繁栄を祈念しています。また、組合に不要になった眼鏡を持っていけば無料で供養してくれるそうです。
参考・参照サイト:アーバン ライフ メトロ
引用:朝日新聞デジタル
物供養は人間の利己的な感情だけで生まれているわけではありません。供養発祥の源となるのは、「感謝」の気持ちや、お別れするものへの「愛情」を表したいという気持ちからといえるでしょう。
私たちは日常生活を送る中で、さまざまなものを犠牲にしています。最も身近なものといえば、肉や魚といった動物性食品でしょう。実際に、食べ物を供養するイベントは日本各地でおこなわれています。
有名なのは山口県下関市をはじめ、全国の魚市場で開かれている「ふぐ供養」。自然の恵みであるふぐを与えてくれた海の神様への感謝を目的として1930年に始まりました。
東京都の築地市場でも長年供養がおこなわれていましたが、2018年に豊洲市場へ移転したため、今後の開催が注目されています。
参考・参照サイト:ふぐマガ
また、犠牲になってくれたものに対する感謝を目的に開催されている供養も多々存在します。たとえば、アース製薬が開催している「虫供養」。これは商品の開発や研究のために犠牲になったムカデやマダニ、ゴキブリなどの害虫を供養するイベントです。
害虫と同様に「菌」も普段嫌われがちな存在ですが、そんな菌を祀る「菌塚」が京都府に存在します。人間生活のために犠牲になってくれた微生物を祀る菌塚では、毎年5月に法要が行われています。
参考・参照サイト:地方紙と共同通信のよんななニュース
ケンタッキー・フライドチキンが毎年開催している「チキン感謝祭」も犠牲になった鶏たちへの感謝を目的に作られています。世界的なフランチャイズチェーンであるケンタッキー・フライドチキンですが、供養をおこなっているのは日本のみの様子。こうしたところからも、日本に供養の習慣が根付いていることがわかります。
参考・参照サイト:NAVER まとめ
人間とは違い、基本的にものには葬儀や供養などの慣習はありません。しかし、深い愛情を持って接したものと離れるとき、ただ処分してしまうのはあまりに寂しいものです。これまでの感謝と、ものに対する愛情を伝える機会として供養が作られたことも少なくありません。
代表的なものとして、2015年に始まったソニー生まれのロボット犬・AIBOの供養は、AIBOを本当の生き物のようにかわいがる飼い主の愛情から生まれたものといえるでしょう。
参考・参照サイト:朝日新聞デジタル
供養が生まれる目的は決してひとつだけではありません。さまざまな目的を持って生まれる供養がほとんどです。畏怖や感謝、未来への希望、さらには愛情などさまざまな気持ちが相まって、これまでさまざまな供養が生まれてきました。日本人がものに対する敬意や感謝の気持ちを忘れない限り、今後さらにさまざまな供養が生まれることが予想されます。物供養に参列することで、もののありがたみをかみしめることができるでしょう。