19/02/20
引用:PAKUTASO
2018年に日本で公開されたピクサー・アニメーション・スタジオ制作映画の『リメンバー・ミー』をご存じですか?
家族に反対されながらもミュージシャンを目指す主人公の少年・ミゲルが、死者たちが暮らす「死者の国」に迷い込んだことをきっかけに、家族のいざこざを解決する物語です。
映画の舞台となっているメキシコには年に一度(11月2日)、他界した先祖が家族に会いに来る「死者の日」があり、映画でも死者の日の様子が詳しく描かれています。日本でいう「お盆」そのものですね。
映画の象徴的存在として何度も出てくるマリーゴールドは、メキシコでは「死者の花」を意味します。日本でいえば彼岸花や菊にあたるでしょうか。
『リメンバー・ミー』からわかるように、世界には日本でいうところのお盆に当たる日が存在 します。一体どんな国で、どのような供養がなされているのでしょうか?
引用:2016丙申年鷄籠中元祭
世界のお盆を知る前に、まず確認しておきたいのが日本の一般的なお盆。「お盆」という言葉の由来は諸説ありますが、サンスクリット語のウランヴァーナを漢字で表した「盂蘭盆会(うらぼんえ)」から来た説が有力といわれています。 盂蘭盆会とはご先祖様の霊を祀る仏教行事ですが、日本のお盆は日本古来の祖霊信仰と仏教行事である「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が融合した行事です。
日本では一般的に都市部は7月13日~15日(または16日)に、地方では8月13日~15日(または16日)をお盆の期間とするところが多いです。
お盆では、13日の夕刻には迎え火をしてご先祖様の霊を迎え入れ、15または16日に送り火をしてその霊をお見送りします。お盆期間にはおそなえ物やお墓参りをしたり、盆踊りを開催したりしてご先祖様をにぎやかに迎え 、感謝と供養の気持ちを伝える行事です。
一般的にお盆の期間は家族で過ごす人が多く、普段働いていてもこの期間には夏休みを取って帰省する人が目立ちます。
同じアジアでも中国や台湾、香港では道教の教えにのっとって旧暦の7月15日前後に「中元節(ちゅうげんせつ)」と呼ばれる行事を開いています。
日本のお盆のイベントと言えば盆踊りを思い浮かべる人が多いかと思いますが、 中国や台湾では「中元祭」と呼ばれるお祭りが大々的に開催されています。画像は2016年に台湾で開催された「鶏籠中元祭(きーるんちゅうげんさい)」の様子ですが、ダイナミックさが伝をわってきますね。同じ仏教国でも、 死者やご先祖様の霊に対して供養と感謝を表す行事は国によってさまざまであることがよくわかります。
参考・参照サイト:中元節(お中元)の由来と習慣
引用:OTOFUKE TIME
ここ数年間、日本でもすっかり定着したハロウィン。華やかな仮装ばかりが注目されがちですが、もともとハロウィンは古代ケルト人 が夏の収穫を祝った「サウィン祭」がもとと言われています。
ケルト人にとっての1年の終わりは10月31日であり、この日に死者の霊が家族を訪ねてくると考えられていました。同時に悪霊や魔女が訪れてくる日とも考えられていたため、人間がお化けや魔女に変装して、悪霊の目を欺くことで襲われないようにしたり、悪霊を驚かせて追い払おうとしたりしたことが仮装の始まりとされています。
日本でも定着したため、世界的な行事と考えられがちですが、実際のところ積極的に祝っている地域とそうでない地域でかなりの違いがあるようです。
ハロウィンはキリスト教のお祭りではないため、ラテン諸国やフランスやイタリア、スペインなどカトリックが多い地域では馴染みが薄く、ほとんど浸透していないようです。むしろ『リメンバー・ミー』に出てきた「死者の日」やその前日の「諸聖人の日」を祝うことの方が多いとされています。
考え方の違いはありますが、ハロウィンを大々的に行う国や人にとって10月31日は大切な日です 。それにも関わらず、昨今の日本では行き過ぎたコスプレやパーティー、さらには周囲に迷惑をかける人など悪い意味で取り上げられがちです。今年のハロウィンではこの悪習が少しでも改善されることを願います。
参考・参照サイト:
【Lets】レッツエンジョイ東京
世界各国で行われている「お盆」 について紹介しました。日本でいう「お盆」の風習とは異なるものも多いですが、ご先祖様におそなえ物をして感謝や供養の気持ちを伝えるという点では、どの国でもある程度共通しています。
中元祭やハロウィンなど、大規模なお祭りやイベントを行って盛り上げる国も多く、死を後ろ向きなものにはしたくないという人々の気持ちが伝わってきます。
世界には日本のお盆に当たる行事がない国もあります が、だからといって決してその国の人たちに先祖を思う気持ちがないのではありません。国民に共通する供養の日がないだけで、故人を弔う習慣がある人はどの国にもたくさんいます。
お盆に当たる行事がなくとも、供養しようとする気持ちは万国共通といえるでしょう。