19/09/12
妻の遺品を手放すことができなかった男性が、「感謝」を胸に一つひとつ整理していくことができた。こんなエピソードが共感の輪を広げています。人々は、そのどこに感じ入ったのでしょう。いろいろな声を拾っていくと、日本人特有の「供養」につながる糸が見えてきました。
62年もの間連れ添った奥さまが亡くなり、遺された衣服。そう簡単には捨てられないが、彼女の身体を飾り守ってきた服へ「ありがとう」と頭を下げながら手放していった──こんな一通の投書が朝日新聞に載ったのは、令和になったばかりの5月のこと。ご夫婦はともに老人ホームで暮らしていましたが、奥さまが先に他界。男性は収納棚に残された衣服をどうしたらいいか悩み、つらい思いを抱えながら整理に手を着けました。しかし、一つひとつ感謝をしながら処分のための袋に移していくうちに、「感謝離」という言葉が頭に浮かんだのだそうです。もちろん「断捨離」のもじりですが、心の中を実にうまく表している言葉です。
そして、捨てるには忍びないけれど天国で再会したら新しい服を買いに行こう、と思いを馳せます。衣服の新陳代謝をすることから「代謝離」とも連想したと、ユーモラスに綴られています。読み進めるうちに、男性の心がだんだん軽くなっていくのが見て取れるようでした。そしてこの投書を読んだ人たちからは、大きな反響が巻き起こりました。朝日新聞デジタル版の記事に、その後のことが掲載されています。
何十年も連れ添ったパートナー、自分を育ててくれた親。そんな存在を亡くした後、遺された物を手放せない人はたくさんいます。声を寄せた多くの人は、「処分してしまうと、その人が生活していた跡が消えてしまう」「思い出まで捨て去るような気がしていた」と、かつての自分の心境を明かしながら、手放すことへの抵抗感があったといいます。そして投稿を読んだとき、同じ思いの人がいた、と共感を覚えたのです。そして、感謝離という言葉に一種の救いを見出しました。「今まで手を着けられなかったが、ありがとうと思いながらやってみたい」という声もありました。思い出の品との別れを、感謝することによって悲しさではなく前向きに昇華するわけですね。
自身の「終活」に触れた声もありました。大切な物を捨てることに罪悪感を持ってしまっている人が、感謝離のおかげで穏やかな終活の日々を迎えられるのでは、というメールが寄せられたそうです。「断捨離」の提唱者であるやましたひでこさんは、「使われなくなった物を『ご苦労さま』と手放し、次の物を再発見して手に入れるサイクルが断捨離」と言います。また、遺品と上手に別れるためには物と向き合って弔うことで成仏させてあげ、それは故人をも弔うことにつながり「いちばんの供養になるでしょう」と語っています。投稿の男性が書いている「代謝離」もやましたさんの唱える断捨離の一環なのだそう。さらに、代謝の後に来る「新生」にまで投稿では触れています。「天国で新しい服を買いに」というくだりがそれで、ここまで思い至ることで残された人にとっての心の救済ともなっています。
使っていた物を処分するとき、ただのゴミにはしたくない──これは、すべての物に魂が宿るという日本人の考え方から来る感情です。今まで一緒に過ごしてきた時間や思い出が、物には詰まっています。それらも捨て去ってしまうことに抵抗を感じ、しまい込む。そんな物がどんどん増えていって、家の中の収納は溢れかえってしまいます。だから、ここにも「供養」の心が必要になるのです。やましたひでこさんいわく「成仏」させて、新生の過程に進むこと。物の供養であり、故人の供養でもあります。
供養の日普及推進協会では、愛用していた物などを送り出すための「感謝シール」を配付しています。手放したり処分したりする物にシールを貼っておくことで、物に対する感謝の気持ちにつなげることができます。決してゴミではなく、ありがとうを言いながらお別れする。この供養の心が、感謝離にもつながっています。
朝日新聞の投稿では、「2人の間に終止符はなく、いつまでも夫婦」と結びの近くで語られています。縁を普遍のものとして考える私たちの心根が表されていて、それが読者の胸を打ったのかもしれません。人と物、人と人を結び付けているのは、いつの時代でも「心」なのですから。
供養の日普及推進協会が作っている感謝シール
引用:2019年5月19日 朝日新聞「男のひといき」、2019年7月1日 朝日新聞デジタル