「断捨離」は供養の一つのカタチ

20/12/23

 激動の2020年が終わろうとしています。次の2021年が希望に満ちた一年であることを願い、年末に本格的な大掃除に取り組んで、新年を気持ちよく迎えようと考えている人も多いことでしょう。この機会に、心機一転を図って「断捨離」にチャレンジしてみるのもいいかもしれませんね。そこで今回は、暮れの大掃除のタイミングにあわせて、「断捨離」という行為を「供養」の観点から考えてみたいと思います。そして、皆さんにスッキリとした気持ちで新しい年をお迎えいただけたら嬉しく思います。

モノを捨てるという行為を考えてみる

モノを捨てるという行為を考えてみる

 そもそも「断捨離」とは、最初の提唱者であるやましたひでこさんが、ヨガの断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)の考えに基づき、片づけに応用した言葉。ですから、単なる整理術や片づけ手法というより、どちらかといえばメンタル的な意味合いが強い言葉といえます。“断”は入ってくる不要なモノを断ち、“捨”は不要なモノを捨て、“離”はモノへの執着から離れることを表します。つまり、モノに執着せず、自分にとって本当に必要なものだけを手元に残し、快適ライフを実現しようとする考え方が、「断捨離」の基本といえます。
 ところが、今度こそ断捨離を!と思いながらも、実際にはなかなかモノが捨てられない方も多いのではないでしょうか?モノが捨てられない理由は、日本人に捨てるのは「もったいない」という考え方が染み付いているのが一因として挙げられましょう。戦中戦後のモノがない貧しさの中で生きてきた世代の考え方の名残なのか、電化製品、パソコンなどは、何年も使っていなくても“まだ使える”、“そのうち使う”、“いつか必要になる”として捨てられず、壊れていても“後で修理する”つもりで取っておいたり。しかし、実際は「そのうち」も「いつか」も結局訪れず、そのまま何年も放置していることが多いのが実情です。また、人からのプレゼントや頂きものなどは捨てるのが心苦しく、使うあてもないのにずっと持ち続けていたり、サイズが合わなくなってもう着ない服やデザインが古くなって持ち歩かないバッグなども、“値段が高かったから”という理由で捨てられないでいる…そうした経験に心当たりのある方も多いかと思います。
 そんな方は「断捨離」イコール“モノを捨てる”という考えに固執せず、“モノとお別れする儀式”といった発想に変えてみてはいかがでしょう。そうすれば、「不用品としてただ捨てるのではなく、自分より喜んで使ってくれる人に買ってもらう」として、フリ−マーケットやオークションへ出品することも一つの手放し方として捉えられるようになり、もっと「断捨離」の考え方の幅が広がるかもしれません。

モノを大切にするってどういうこと?

モノを大切にするってどういうこと?

 では、「断捨離」を自分とモノの付きあい方として考えてみましょう。そもそも、持ち主にとって“モノを大切にする”とは、どんな状態を指すのでしょうか。使っているときに幸せを感じたり、思い浮かべるだけで温かい気持ちになったり…。要は「もったいない」から使っているのではなく、モノに対して愛着を感じながら、存在そのものを大事に思いながら使っている状態といえます。反対に、モノの側から考えてみると、「もったいない」という理由で、使われずに部屋の隅や物置に放置されておかれるのは嬉しいことでしょうか?存在すら忘れられている状態で、持ち主に大切にされているといえるのでしょうか?
 “モノを大切にする”とは、モノに備わった役割を持ち主が必要として、その役割を全うさせてあげることではないでしょうか。モノにとってもずっと忘れられて埃を被っているよりも、オークション等で必要としている次の誰かと出会って使われる方が、どれだけ幸せなことでしょう。そう考えると、“モノを捨てる”ことは“モノを大切にしない”ことではありません。モノの価値は使って初めて意味があるのですから、“モノを大切にする”とは、使わずにしまっておくことではなく、きちんと使ってあげることです。
 こうして考えてみると、「断捨離」とは、モノと真剣に向き合い、これから一緒に生きていく必要なモノと、お別れするモノを取捨選択し、自分とモノ、両方にとっての幸せな生涯を考える機会といってもよさそうです。そして、その役割を終えてお別れするモノに対しては、“今までありがとう”と感謝と敬意を示して手放すことができれば、持ち主も“モノを大切にする”という役割を全うし、きちんとモノを「供養」したことになるのではないでしょうか。
 「断捨離」において「ときめき」を重視される、片づけコンサルタントのこんまりさんこと近藤麻理恵さんは、著書『人生がときめく片づけの魔法』の中で次のように著されています。《今はもうときめかなくなったものを捨てる。それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。ぜひその門出を祝福してあげてください》と。

「断捨離」で新しい自分にリセット

「断捨離」で新しい自分にリセット

 「断捨離」は、何でもかんでも捨てることではありません。たとえ普段使わないものでも、自分にとって好きな趣味やこだわりの品などは、人生を豊かにするものとして残すべきです。とはいえ、“捨てると損した気分になる”という考えの持ち主が残しているモノは、ほかの人から見ると案外どうでもよいモノが多いのも事実。そのままではモノが増え続け、それだけ掃除など管理する手間も増えていき、これからの大切な時間がそこに残った過去のモノに奪われていく事態になってしまいます。それを防ぐには、時には家族や友人にアドバイスを受けると良いでしょう。客観的な意見を聞くことで、捨てるべきモノと残すべきモノがわかることもあるはずです。
 「断捨離」を行う中で、自分にとって何が本当に必要か、自分のことがよくわかるようになると、納得してモノを捨て、過去ときちんと決別できるため、未来に向かって前に進みやすくなります。「断捨離」によって生活に変化が生まれるからです。たとえば、“そのうち読むから”と何年も本棚に並べていただけの本を手放すことで、新たなスペースできて部屋がスッキリしたり、使うことのなかった食器を処分したことで、キッチンでの作業が効率的になったり。また、増えた洋服を片づけることでファッションの好みが明確化し、不要な服にかけていた余計な出費が減ったり…。「断捨離」は、物質的な無駄を減らすだけでなく、いま何が大切なのかを決断する力も磨いてくれるといわれます。それによって自由に使える時間、空間、お金が増えるから、気持ちにゆとりが生まれ、生き方そのものが前向きになってくるのではないでしょうか。先にご紹介した近藤麻理恵さんも、前述の著書のなかで次のように書かれています。《家の中を劇的に片付けると、その人の考え方や生き方、そして人生までが劇的に変わってしまう》。
 「断捨離」とは、ある意味、昨日までの自分を「供養」して、新しい自分にリセットするための行為だといえなくもありませんね。皆さんも年末の大掃除に本格的に取り組んで、新しい年の始まりとともに、新しい自分を気持ちよくスタートさせてください。

参考・引用出典
近藤麻理恵 『人生がときめく片づけの魔法』(河出書房新社)

参考・参照サイト
断捨離 やましたひでこの公式サイト

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