東日本大震災から10年、未来に継承していく想い

21/03/02

 宮城、岩手、福島の3県を中心に、未曽有の被害をもたらした東日本大震災から、間もなく10年。あの日、被災された皆様に、あらためて心よりお見舞い申し上げます。昨年の3月11日は新型コロナウイルスの感染拡大により、各地の追悼式や法事の多くが中止になりましたが、今年は10年の節目ということもあり、オンラインイベントに切り替えたり、時間や人数を制限するなど「新しい様式」で、感染を防ぎながら開催するところも多いようです。震災10年の節目を迎えるにあたり、今回は、被災地や被災者の想いをどう未来につなげていくか、供養の観点からあらためて考えてみたいと思います。

区切りを付けることは忘れることではない

区切りを付けることは忘れることではない

 震災から月日が流れ、被災地では少しずつ復興も進み、この10年を節目に一つの区切りを付けようとする動きがいくつか見られます。被災地の人々が、あの日とどう折り合いを付けてこれから生きようとしているのかを象徴する話題がいくつかありましたので、ご紹介しましょう。
 まず、『流された思い出の品、4市町で返却終了 震災10年』という記事(日本経済新聞電子版2021年1月3日付)から。これまで被災地では、津波で流された持ち主不明の「思い出の品(震災拾得物)」を自治体が保管し、持ち主へ返却してきました。しかし近年、探しに来る人が減っていることから、岩手県陸前高田市、宮城県気仙沼市、岩沼市、七ケ浜町では10年を境に活動を終了。環境省も福島県浪江町で業者に委託して返却してきた事業を終えるほか、「区切りの時期を検討中」の自治体も多いようです。
 一方、《継続するのは岩手県釡石市、宮古市など5自治体。釡石市の担当者は「いつでも返却できる体制を保っておくべきだと考える」と話した。すでに現物を処分した自治体の中でも、宮城県名取市は写真をデジタル化して保存。(中略)担当者は「19年も1人の手に渡り、喜ばれた。可能な限り続けたい」と話す》と同記事に記されているように、「思い出の品」を帰るべきところに返してあげたいのも各自治体の偽らざる想いであり、活動を終える気仙沼市も写真のみ保管し、同様の対応をするそうです。
 一方、原発事故により住民避難が続く福島県双葉町では、先日、地区の共同墓地を閉じる「墓じまい」が行われ、住民が避難先から集まり先祖代々の墓地に別れを告げたそうです。河北新報ONLINE NEWSによると《墓じまいには、県内外に避難する住民ら約30人が参列。僧侶が読経して引き取り手が判明しなかった遺骨の「魂抜き」を行い、その後、町の共同墓地にある永代供養墓に納められた。須賀川市に避難している浜野行政区長の高倉伊助さんは「自分たちの世代で一つの区切りをつけようと思った。前に進んでいきたい」と話した》と紹介されています。
 “気持ちに区切りを付ける”ことは、なかったことにして忘れるということではありません。むしろ、大切な人の思い出を決して忘れず、あの日の教訓を胸に刻み、よりよい未来に進んでいくための覚悟と決意を新たにする…震災10年という節目は、被災者にとってそんな供養のきっかけの一つなのではないでしょうか。

参考・引用出典
日本経済新聞電子版

参考・参照サイト
河北新報ONLINE NEWS

被災地の心の傷を受け止める場所

被災地の心の傷を受け止める場所

 東日本大震災による死者・行方不明者が1700人に達した岩手県陸前高田市。皆さんは同市広田町の山奥にある“漂流ポスト”をご存知でしょうか?「もう一度会いたい」。突然失くしてしまった大切な家族や友人に伝えたい想いを綴った“届ける宛のない手紙やはがき”が流れつく場所…カフェを経営していた赤川勇治さんが、震災で亡くなられた人への思いを綴った手紙を預かる場所として、2014年3月11日に設置したポストのことです。いまでは震災に限らず、いろいろな事情で最愛の人を亡くした人々が、全国各地から故人への思いを手紙に託し、届ける場所として広く知られています。同じ敷地内にある“漂流ポスト小屋”では、届いた手紙やはがきの閲覧も可能です。
 赤川さんは、ポストが置かれた場所そのものが、徐々に「亡き人の存在を感じられる場所」に変化してきたことを感じ、昨年カフェを閉店され、現在は“漂流ポスト”の取り組みに専念されています。「手紙を書きたくても、ペンを持つまでにたどりつけていない人が多いようだ。1行でいいので心を出してみてほしい」と赤川さん。《悲しみや苦しみは10年で区切りをつけられるものではない。被災地に残る深く大きな傷が癒えるには、まだまだ長い時間が必要だと感じる。せめて節目の年に何かをと、供養碑の設置を構想している》(胆江日日新聞 2021年1月3日付)といいます。
 この“漂流ポスト”を題材にした映画『漂流ポスト』(清水健斗監督)が、今春より全国で順次公開されることになりました。各国の映画祭で高く評価され、数々の賞に輝いた本作品は、「被災者の心に寄り添った映画を作り、風化防止に繋げたい」という清水監督の熱い想いが赤川さんに届き、映像化が実現したそうです。私たちが映画を通して被災した方々の思いを受け止めることで、いまも残る悲しみや苦しみを癒やすことに、何らかのカタチで少しでもつながっていけばと願ってやみません。

参考・引用出典
朝日新聞GLOBE+

参考・参照サイト
胆江日日新聞
Web東海新報

一番の供養は、思い続けること

一番の供養は、思い続けること

 最後にもう一つ、陸前高田市の話題を取り上げます。同市竹駒町の荘厳寺では、震災で犠牲になった方々の名前と年齢を記した筆書きの半紙が本堂に並んでおり、いま注目を集めています。その数、気仙3市町(陸前高田市、大船渡市、住田町)の市町ごとに分類して、1枚の半紙に13人ずつ100枚以上、合わせて約2000人分。これは住職の髙橋月麿さんが「亡くなった方に思いをはせ、元気で楽しかった時のことを忘れないでほしい」「生きた証しを残したい」との想いを込め、約1年掛けて手書きで作成した名簿です。
 東海新報の記事(平成2年8月16日付)において、髙橋住職は《「大切な人を亡くした遺族の気持ちが少しでも和らぐようにと思い、犠牲者供養の意味も込めて、名簿を作ることを決めた」(中略)「今を生きる私たちにできる一番の供養は、震災犠牲者を思い続けること。この名簿を見て、亡くなった大切な人の表情や、ともに過ごした時間を心に思い浮かべ、その人に思いをはせる場所となってくれたら」》と語られています。
 あの日から10年近くの歳月が過ぎ、被災地や被災者の方々は、当時の記憶や想いが人々から薄れていくことを危惧されています。私たちが震災で犠牲になった方々に対してできるせめてもの供養は、住職の言葉どおり、あの地震の直前まで普通に生活を営んでいた人々のことをこれからも “思い続けること”であり、あのときの記憶や想いを“忘れない”でいること。そこからしか本当に安心できる災害管理体制や安全な防災技術は生まれず、同じような犠牲を出さないための政策や法律、組織や社会、個人のあり方も、あの日を教訓にし続けることでしか実現できないのではないでしょうか。そして、それを未来に受け継いでいくことこそが、残された私たちがこれから果たしていくべき責任であり、犠牲になった方々への最大の供養になるといえましょう。

参考・引用出典
47NEWS

参考・参照サイト
WEB東海新報

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