全国の仏事慣習の違い 〜 愛知県の巻 〜

21/07/01

 日本の仏事は、お盆の時期が7月の地域もあれば、8月の地域もあるように、全国各地で異なる慣わしやしきたり、地域の特性や歴史に根付いたものがあり、お葬式、法要や法事、供養の儀式なども、地方によって独特な作法などが存在します。そうした各地で違う仏事にまつわる慣習を、これから不定期ではありますが、都道府県ごとにご紹介していきたいと思います。各地のユニークな仏事を知ることで、供養のことをもっと身近に感じていただければ幸いです。全国五十音順にまずは愛知県から。

三英傑の地に残る慣習あれこれ

三英傑の地に残る慣習あれこれ

 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という日本の三英傑ゆかりの地でもある愛知県は、古くから伝わる風習が全国的に見ても多い地域です。大都市・名古屋であっても山間部や海沿いのエリアであっても、仏事においては独特の慣わしが残っており、特に葬儀では地域性が色濃く表れるようです。では、愛知県の仏事の際にみられる独特の慣習やマナー等をいくつかご紹介しましょう。

〈前火葬〉
一般的に、故人の葬儀の流れとしては、お通夜〜葬儀・告別式〜故人とのお別れ〜出棺〜火葬・骨上げになります。故人を荼毘に付すタイミングは、全国的にみても、葬儀・告別式を終えて出棺したあとに行う「後火葬」のほうがほとんどです。しかし、愛知県では、お通夜より先に火葬を行う「前火葬」を習慣としているところもあります。知多半島の南知多町をはじめ一部の山間部や海沿いの地域では、「前火葬」の習慣があり、その際のお通夜や葬儀は、ご遺体ではなく、火葬を済ませたあとの遺骨を祭壇に飾っての「骨葬」として執り行われるようです。

〈二つの白木位牌〉
西三河地方では、位牌についても独特な風習があります。まず、故人のために大小二つの白木位牌を用意し、葬儀では二つとも祭壇に飾ります。そして、葬儀・告別式が終わると、大きい方の位牌を故人の胸元に入れて出棺し、遺体といっしょに火葬。もう一方の小さな白木位牌は、自宅に持ち帰って法要でも使用され、本位牌と入れ替えたあとで処分されるということです。

〈喪主も白装束〉
一般的に仏式の葬儀では、亡くなった方に白装束を着せますが、瀬戸市の一部では、喪主が白装束を着て、火葬場に向かうという地域もあるようです。また、愛知県の一部地域では、出棺に立ち会う男性が額に白い三角布か紙をつける習慣もあり、これらの意味には、故人が旅立つまで、白い布を身につけて、いっしょに寄り添っていたいという思いが含まれているのかもしれません。

地域社会と故人のお別れの場として

地域社会と故人のお別れの場として

〈お淋し見舞い〉
お通夜の際の風習としては、愛知県には「お淋し見舞い(おさみしみまい)」というものがあります。故人や遺族と身近な関係者が、香典とは別に手土産のような菓子折りやお酒などを持参して遺族に渡すのが一般的だそうです。饅頭などのお見舞いの品は、お通夜のあとの「通夜振るまい」において、弔問客に小分けして振るまわれたり、控え室や火葬場で過ごす待機時間などの茶菓子として利用されます。「お淋し見舞い」は故人のためのお供えというより、最後の夜に故人との思い出を語り合う際、遺族や親族を励ます意味合いが強いようです。近隣の方々からのちょっとした気持ちの表れですが、故人が地域社会とお別れするための穏やかな雰囲気をつくるうえで、重要な役割を果たしている心遣いといえます。

〈出立ちの膳〉
愛知県の尾張地方(名古屋)等では、葬儀当日、近親者に「出立ち膳」が振るまわれるところがあります。これは、亡くなられた方を囲んで最後の食事をする意味の慣習です。献立としては簡素な精進料理ですが、胡椒や唐辛子で味つけをした非常に辛い「涙汁(なみだじる)」が一緒に出されることも多くあります。「涙汁」が意味するのは、辛さによって悲しみの涙を出すということに加え、辛いものを摂ることで葬儀の疲れを取ってほしいという二つの思いが込められているといいます。

上記以外にも、愛知県には同じ県でありながら、地域によって様々な場面でユニークな慣習が見受けられます。たとえば、南知多地域では、自宅に遺体を安置しても線香や灯火は供えず出棺の際にわらを燃やしたり、三河地方では出棺時に故人の生前の茶碗を割る「茶わん割り」の習慣が残っていたり…。それぞれに、やり方やマナーの違いがあったりしたとしても、地域の人々にとって、故人との思い出を大事にし、故人に感謝を込め、大切に弔って送り出そうとしている供養の気持ちにはもちろん違いはありません。また、遺族にとっても、地域の人々に見守られ、励まされながら、悲しみに区切りを付けることは、これからその地で生きていく上でとても心強い支えになることでしょう。

地域に受け継がれる盛大な供養の催し

地域に受け継がれる盛大な供養の催し

 ここまでは、個人的な仏事にまつわる愛知県ならではの慣習をご紹介しましたが、次はその土地に昔から受け継がれているイベント的な供養の催しにスポットを当てます。
 まずは、名古屋市の八事山興正寺で毎年10月に行われる恒例の行事「千燈供養会(せんとうくようえ)」。創建から300年以上の歴史を持つ興正寺は、尾張徳川家の祈願所としても有名で、千燈供養祭は1891年の濃尾地震で犠牲になった方の鎮魂供養を目的に始まったとされています。当日の見どころは、参道から護摩祈祷の行われる会場まで、数多くの燈籠でびっしり埋め尽くされる幻想的な光景と、広場で点火される護摩壇です。この供養の催事は、名古屋最大の火まつりとして知られ、毎年多くの参拝者が訪れます。
 続いては、新城市乗本本久地区の万灯山で毎年8月15日に行われる「乗本万燈(のりもとまんどう)」。さらしを巻いた男性が夜に万灯山にのぼり、万灯と呼ばれる麦わらでできた束に火をつけて、頭上で振り回す祭事です。もともとは精霊送りや悪霊を鎮めるための盆行事とされていますが、戦国時代、この地域が長篠の戦いの戦場でもあったため、そのときの戦没者を供養する行事ともいわれています。太鼓・鉦・笛の囃子に合わせた「マンド、マンド、ヨーイヨイ」という掛け声とともに、万灯の炎が尾をひいて夜空に輪を描いていく光景は壮観で、県の無形民俗文化財にも指定されています。

 このように、各地域に長く続く供養の儀式には、その土地の先人やそこに暮らす人々の思いが詰まっています。地域の風習を物語る文化としても、自分たちの祖先を大切に敬ううえでも、次の世代にも大切に受け継いでいきたいものですね。

参考・引用出典
東三河 ほの国MEGUMI

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