世界唯一の被爆国として継承していく想い

21/08/31

 2021年8月、広島・長崎に原爆が投下されてから76年めの夏を迎えました。あの日被爆され、犠牲になられた方々、ご親族と関係者の皆様に、この場を借りてあらためて哀悼の意を捧げます。今回は、被爆者や犠牲になった方々、被爆地の想いを未来につないでいくために、いまを生きる私たちが何をすれば良いのか、各地で行われた追悼の催しや供養の取り組みを紹介しながら考えてみたいと思います。

被爆体験者の高齢化が進むなかで

被爆体験者の高齢化が進むなかで

毎年8月6日と9日の「原爆の日」に執り行われる式典と聞いて皆さんが思い浮かべるのは、広島と長崎それぞれの平和記念公園、平和公園で行われる平和祈念式典ではないでしょうか。実際、当日はそのほかにも広島と長崎の様々な場所で、原爆犠牲者の供養と平和を祈念する式典が多様な形で行われています。
たとえば、広島市の平和大橋西詰めの「広島市立高女原爆慰霊碑」前では、職員生徒の原爆死没者慰霊献花会が行われ、当時の市立第一高等女学校(現舟入高)の卒業生や遺族が約200人集まり、犠牲者676人に花を手向けました。中國新聞デジタルでは、《碑のそばには舟入高生たちが折った千羽鶴を、生徒会長の2年平本咲世さん(17)がささげた。「私たちは被爆体験を聞ける最後の世代かもしれない。あの日、何が起きたか伝えていく責任がある」と話した》と紹介されています。
また、朝日新聞デジタルには、被爆者の森田博満さん(86)が長崎市の五社公園に立てた説明板の記事が掲載されています。地元の小学生の手で除幕されたその説明板には、76年前に被爆した森田さんが避難する途中、公園で見た光景が次のように記されています。“あの日の五社公園はまさに地獄絵図そのものだった。血で真っ赤に染まった人や焼けただれた皮膚をぶら下げて歩く人で埋めつくされ、水を求める声がこだましていた”。森田さんは「当時のことを語れる人がいなくなっても、この説明板が伝えてくれる。私の集大成」と語っています。
ここでご紹介したことは、両被爆地における取り組みの一例に過ぎませんが、関わる方々の言葉一つひとつには、被爆体験を継承していこうという思いを強く感じます。厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者は2019年に15万人を下回り、2021年3月末では12万7755人、 平均年齢83.94歳。当時のことを知る“生き証人”が高齢化していくなか、いま被爆体験をどう継承していくかが懸念されています。その一方で、被爆体験の風化や若い世代の平和意識の低下・希薄化を防ごうとする動きが、全国で活発化しているのもまた事実です。

参考・参照サイト
中國新聞デジタル
朝日新聞デジタル

その日、被爆地以外でも想いは同じ

その日、被爆地以外でも想いは同じ

引用
新潟市ホームページ

原爆の犠牲者の追悼や、核兵器の廃絶を願う式典は、広島・長崎だけではなく、被爆地から遠く離れたいろいろな地域でも行われています。
新潟市では、平成20年から8月6日を「ヒロシマの日」、8月9日を「ナガサキの日」として、新潟県原爆被害者の会と新潟市職員労働組合の共同で、原爆犠牲者追悼式・平和祈念の集いを開催。今年もそれぞれの日に市役所に祭壇を設けて犠牲者を追悼し、非核・恒久平和を訴えたほか、原爆写真パネル展も実施。原爆の各投下時刻には、市役所・各区役所の全職員が一斉に黙とうを捧げました。
滋賀県大津市では、8月6日、広島での平和祈念式典に合わせ、三井寺で1953年から続いている法要が今年も行われました。通常は僧侶や参拝者らによる黙とうの後、平和への願いを込めた風船飛ばしが恒例ですが、コロナ禍の今年は「核兵器廃絶」「世界平和祈願」などの思いを参拝者が短冊に記したそうです。福家俊彦長吏(62)は「100年、200年後にこの体験を伝えていくことが重要」と語られています。
岩手県盛岡市では、長崎に原爆が落とされた8月9日に、いわて生協の組合員が高松公園の平和祈念像「望み」に集まり、平和について考える集いを開いています。今年も集まった約30人が像の手入れや清掃を行い、原爆投下された時刻に黙とうを捧げた後、平和への祈りを込めた千羽鶴が子どもたちによって像にかけられました 。
また、東京都国立市では、8月6日と9日の「原爆の日」に向け、市と市民でつくる実行委員会が2012年から始めた独自のイベントを毎年行っています。「原爆とえんぴつ。」というテーマを掲げ、“一本の鉛筆から紡ぎ出す言葉により、原爆について考え、失われた命に思いをはせ、平和を築く”との想いから、「原爆の日を忘れないための一行のコトバ」を市民から募っています。今年は8月6日〜15日の期間、選出された48編のコトバと、広島市立基町高の生徒と被爆体験証言者の共同制作した44点の「原爆の絵」が、国立市公民館などで映像や展示にて紹介されました。
このように 「あの日」を忘れまいとする取り組みは全国各地で行われています。原爆で犠牲になった命を悼み、戦争の悲惨さを胸に刻み、平和を願って日本中のこころが一つに結ばれる特別な供養の日、それが8月6日と8月9日という日なのかもしれません。

参考・参照サイト
新潟市ホームページ
京都新聞
毎日新聞地方版
国立市ホームページ

被爆地とともに継承すべき取り組み

被爆地とともに継承すべき取り組み

引用
中日新聞

ここまで、広島・長崎とそれ以外の自治体の取り組みをご紹介してきました。もう一つ、両被爆地とほかの45都道府県が協力して行う活動もありますので、最後にご紹介します。
皆さんは、長崎市が1994年から始めた『県外原爆展』というものをご存知でしょうか。全国を巡回する形で、長崎原爆資料館(長崎市)所蔵の被爆写真パネルや原爆被災物品を展示するものです。長崎新聞によると、今年は富山、鳥取両県で行われ、ついに被爆地2県を除く全国45都道府県での開催を達成し、これまで78の自治体で26万人以上を動員したそうです。記事では《展示品は長崎原爆資料館所蔵で、2016年に身元が判明した「黒焦げの少年」など、被爆の実相を伝える写真パネル約40枚や、熱線で溶けたガラス瓶など被災資料約10点。新型コロナウイルスの影響で、被爆者の現地訪問が難しいため、証言を収録した映像も会場で流している。(中略)市被爆継承課の坂口真一課長は「戦争体験が異なる各地で被爆の実相を広められたのは意義深い。今後も実相を伝えていくように、開催地など広島市と検討を進める」と話した》と紹介されています。
一方、埼玉県飯能市では、平和都市宣言を記念し、広島市と長崎市、飯能市の共同企画『ヒロシマ・ナガサキ原爆資料展』を、7月18日から9月5日まで市立博物館にて開催しています。広島平和記念資料館・長崎原爆資料館所蔵の被爆実物資料やそのレプリカ、被爆者が描いた絵(複製画)など約七十点を展示。広島・長崎の実物資料が揃うことは少ないため、貴重な機会として連日多くの人が訪れているようです。東京新聞(Web版)では、《展示を担当する広島平和記念資料館の沖田なつきさんは「展示物は生々しく刺激もある。でも核兵器は今もあり、目を背けてはいけない。わが事として見てほしい」と話している》と紹介しています。
76年前の「あの日」を伝え続け、犠牲になった多くの命を忘れないこと…それは被爆地だけの問題ではなく、世界唯一の被爆国である日本に課せられた責務であり、いまを生きる私たちにできる大切な供養といえるのではないでしょうか。ご紹介した各地の地道な活動や、自治体を超えた共同での取り組みを継続していくことが、広島・長崎の記憶と想いを未来へと継承し、いつか核兵器のない平和に繋がっていく…そう信じて願わずにはいられません。

参考・参照サイト
長崎新聞
中日新聞
飯能市ホームページ

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