全国の供養慣習めぐり ~ 青森県の巻 ~

22/2/25

 日本の供養慣習は、全国各地ごとの慣わしやしきたり等によっても異なり、地域の特性や人々の暮らし、歴史に根付いて今なお大切な行事・催事として続いているものがあります。今回は、都道府県ごとに息づく独特な供養の慣習や行事をご紹介する不定期シリーズの第2弾として、青森県を取り上げます。有名な「ねぶた祭り」や「恐山大祭」などが、どのようにして始まったのか、どんな願いが込められているのかなど、青森のユニークな供養行事を知ることで、供養についてさらに興味を持っていただければと思います。

「ねぶた祭」は供養の進化のカタチ?

「ねぶた祭」は供養の進化のカタチ?

引用
青森県庁ホームページ

海外でも広く知られる日本のお祭り「ねぶた祭」。主に青森県内40以上の地域で7~8月の間に行われる夏の風物詩で、ご存知のように巨大な人形灯籠の「ねぶた」を山車に乗せて練り歩く華やかなお祭りです。有名なものは「青森ねぶた祭」、「弘前ねぷたまつり」、「五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)祭り」が挙げられ、中でも青森市で開催される「青森ねぶた祭」は、東北の三大祭りの一つで毎年延べ200万人以上の観光客が訪れます。祭りの主役である巨大な「ねぶた」の迫力と、華やかな衣装をした「跳人(はねと)」と呼ばれる踊り手がお囃子に合わせて飛び跳ねるように踊る姿は、お祭り好きには堪らない魅力といえましょう。
ところで「ねぶた」とは明かりを灯した巨大な「灯籠」のことですが、「ねぶた祭」の起源もどうやら慰霊の意を込めた灯籠流しにあるようです。諸説ありますが、奈良時代に中国から入ってきた七夕祭りとお盆の精霊送り、加えてもともと津軽にあった虫送りの行事、眠り流しの行事等が一体化して変化したと考える説が有力なようです。虫送りとは、農作物に被害を与える害虫を不幸な死を遂げた故人の怨霊と考え、人形に害虫をつけて川に流して“穢れ”を祓う行事。一方、眠り流しとは、かつて農作業の妨げになる眠気を “穢れ”と考え、それを払うために人形などに“穢れ”を移して流していた行事のことです。「ねぶた」という名も「ねむい」の方言に由来するようで、ある言い伝えでは、干ばつが続いた平安初期の夏に、原因不明のねむり病が流行って多くの人が亡くなったため、穢れ祓いにねぶた流しをしたのが祭りの始まりとする説もあるようです。
そうした行事が融合・変形して「ねぶた祭」になったということですが、小さな灯をそっと川に流す灯籠流しが、勇壮な「ねぶた」と威勢のよい踊りに変わっていったと考えると、供養のカタチも時代とともに変化していくものといえましょう。いずれにせよ、祖先の人々が自然現象や病など様々な未知のものに畏敬の念を抱き、生きとし生けるもの全てを謙虚に敬い、感謝を込めて始めた儀式が、時代に合わせて発展し、今日の「ねぶた祭」になったということでしょうか。「ねぶた祭」は誰でも衣装を着れば「跳人」として参加できるそうですから、興味のある方は地元の方々と一緒に踊り、壮大な供養の祭典を体験してみてはいかがでしょう。

参考・参照サイト
青森ねぶた祭 オフィシャルサイト
オマツリジャパン

亡き人と思いがつながる「恐山大祭」

亡き人と思いがつながる「恐山大祭」

引用
霊場恐山

昔から、死者の魂が集まる霊場として知られる青森県むつ市の恐山。名前には怖いイメージがありますが、その山頂にある恐山菩提寺地蔵殿では、毎年夏と秋に大祭が行われ、「この時期に地蔵に祈れば、故人の苦しみを救うことができ供養になる」として、全国各地から多くの参詣者や見物客が訪れます。かつては村落単位で訪れ、境内で寝泊まりしていたともいわれます。
毎年7月20日~24日に開催される夏の大祭では、目玉である「山主上山式」が22日に行われます。これは、恐山菩提寺の僧侶や信者が駕籠行列を組んで、恐山入り口近くの川に架かる太鼓橋を、この世とあの世の間にある「三途の川」を渡るように進み、山の地蔵殿へと向かう行事です。沿道は、この行列を一目見ようと集まった見物客や報道関係者で賑わいます。
また、20~22日には、東日本大震災をはじめとする災害等で亡くなった方々への供養を含む大施餓鬼法要、22~24日には祖先や新たに他界された人への供養、家内安全、無病息災を祈願する大般若祈祷が執り行われます。
そして、この大祭でいちばん有名なのが「イタコの口寄せ」。これは、視力を失い、修行を重ねて霊媒師となった女性(イタコ)が、故人の霊をこの世に呼び戻し、故人の代わりに思いを聞かせてくれる儀式のことで、イタコに頼めば故人と会っているような体験ができるといいます。期間中は各地のイタコが集まって本堂周辺に小屋がけしており、毎年、大切な方を亡くし、故人の声をもう少し聞きたいという方たちが長蛇の列をつくり、並んでも順番が回ってこないときもあるほど人気だそうです。もし、もう一度会いたいと願う故人がいらっしゃる方は、祭りに参加してみるのも良いかもしれません。死後の世界や、亡き人と思いを通じ合うための恐山大祭は、全国でも珍しい供養の祭りといえるのではないでしょうか。

参考・参照サイト
ニッポン旅マガジン

450年以上続く「沢田ろうそくまつり」

450年以上続く「沢田ろうそくまつり」

引用
まるごと青森

最後にご紹介するのは、「ねぶた祭り」や「恐山大祭」に比べるとマイナーなお祭りになります。知る人ぞ知る「沢田ろうそくまつり」。弘前市相馬の10戸ほどの集落・沢田地区にある神明宮で、毎年旧暦の小正月に開催されてきた伝統的なお祭りで、無数のロウソクの火が揺らめく幻想的な光景が印象的です。
安土桃山時代から約450年以上の歴史を持つとされ、その起源はかつて壇ノ浦で滅んだ平家の落人の霊を、彼らの子孫が供養したことが始まりという言い伝えも残っています。現在では、農作物の豊凶等を占うお祭りとして知られ、参拝者は坂道を上り、「岩屋堂」と呼ばれるほこらの岩肌に、五穀豊穣や家内安全などの祈りを込めながらロウソクに火を灯し、手を合わせます。近年は、受験の合格や事業の成功などを願う人も多いようです。
参拝者によるロウソクの火は、一晩中灯し続けられます。辺り一面、雪景色のなかにロウソクや松明の光が揺らめく様は神秘的ですらあり、登山囃子に合わせてかがり火の周りを練り歩く松明行列も、見応えがあると参拝者や見物客から評判です。そして、豊凶の占いは、その翌日のロウの垂れ方や形状を見て判断されます。ロウが稲穂のように垂れていれば、その年の収穫は上々、手のひらを広げたように広がり、その先に玉のような粒があると幸せな年になるのだとか。
このように、はるか遠くの祖先の御霊に思いを馳せて始まった行事が、時を経て多様性を持ち、現在では合格祈願の場にまでなるとは、最初に始めた平家の子孫たちは思いもしなかったでしょう。各地域に長く続く供養の行事は、地域の風習の変化を物語る証として、その歴史を遡ってみるのも面白そうです。

参考・参照サイト
祭の日

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