英国女王の国葬から供養の意味を考える

22/10/28

 去る2022年9月8日(現地時間)、英国女王エリザベス2世が96歳で逝去されました。同月19日、ロンドンで営まれた国葬の様子は、テレビやインターネットで生中継され、生前の女王がいかに偉大で、人々に親しまれ、愛されていた存在だったかを、世界中があらためて知る機会となりました。今回は、故エリザベス2世に謹んで哀悼の意を捧げるとともに、女王とのお別れを通して、人の死を「悼み」、「弔い」、「供養する」とはなにか、もう一度その本質を考えてみたいと思います。

英国が「国家の母」を失った日

英国が「国家の母」を失った日

エリザベス女王崩御の発表直前、女王の健康を心配してバッキンガム宮殿前に集まっていた市民の前に激しい雨が降り、一瞬晴れた瞬間、上空に二つの虹が浮かんだそうです。それは、女王が一年前に先立たれた夫のフィリップ殿下と並んでいる姿を思わせる感動的なシーンだったいいます。
女王崩御の公式発表は、9月8日午後6時30分。各国メディアも一斉に伝え、すぐにはじめ、多方面の著名人からの追悼メッセージや、女王の功績を称えるコメントが世界中を駆けめぐり、新君主となったチャールズ3世も「女王を失ったことは国内のみならず、英連邦諸国や世界中の人々にとっても大きな損失です」と哀悼の言葉を述べました。
古今東西、エリザベス2世ほど人々に愛された国王も珍しいのではないしょうか。英国国民は女王の死を悼み、予定されていたイベントはもちろん、郵便や鉄道サービスのストも中止となりました。ロンドンではビルの外壁やショーウインドーはじめ、街のあちこちに女王の写真を掲げ、「ありがとうエリザベス女王」といったメッセージも添えられるなど、国中が追悼ムード一色に包まれました。
1926年4月21日、ジョージ6世の長女として生まれた女王は、第2次世界大戦中、国民に寄り添う姿勢を父を見て学び、14歳のときには、ナチスドイツの恐怖のなかで家から離れて暮らす子どもたちに、ラジオを通じて「頑張って」と励まし、21歳の誕生日には、戦後の国民に向け「私の人生が長かろうと短かろうと、私の全人生をあなた方に捧げる」と宣言するなど、若き頃から国のリーダーとしての品格と資質を備えた方だったといえます。そして近年、新型コロナウイルスの感染拡大で国民が不安なときには、テレビで連帯を呼びかけたり、亡くなられる2日前も、静養先の北部スコットランドのバルモラル城でリズ・トラス氏に首相を任命する公務をこなすなど、25歳で王位を継承してから70年間、まさに最期まで英国と国民のために生涯を捧げられた国王でした。
女王の治世下で生まれ育った人が8割以上といわれる現在の英国国民は、女王が「国家の母」として最期まで「献身」の精神で国民に寄り添い続けたことを誰もが知っています。だからこそ、彼女の死を誰もが自分の家族のように悲しんだのでしょう。そうした国ぐるみの喪失感と哀悼心、尊敬と感謝の思いが一つになったのが、同月19日に行われた女王の国葬でした。

参考・参照サイト
NHK NEWS WEB

国民はそれぞれの「愛」の表現で供養

国民はそれぞれの「愛」の表現で供養

引用
産経新聞

国葬自体もそうですが、何より驚かされたのは、それまでの数日間、女王の棺がウェストミンスター宮殿で「公開安置」されたことです。一般の国民にも、女王に敬意を表し、直接お別れを告げる機会が与えられているという事実には、約1000年の歴史を持つ英国王室の懐の深さを感じざるを得ませんでした。
女王の国葬は、19日午前11時からウェストミンスター寺院で営まれました。日本からは天皇、皇后両陛下が参列され、アメリカのバイデン大統領など各国の元首や首脳を含めて約2千人が出席。女王の戴冠式や結婚式も行われたウェストミンスター寺院は、「より広く、一般市民がアクセスしやすい」という理由で、女王自らが希望された場所だそう。いかにも王室と国民の距離にこだわられた女王らしいエピソードです。
荘厳な国葬の様子を順追ってご紹介すると、まず公開安置されていた女王の棺が、バグパイプと太鼓の音が鳴り響くなか、ウェストミンスター宮殿から、葬列によって近くのウェストミンスター寺院へと移されました。葬儀では、トラス首相、カンタベリー大主教らの哀悼の言葉に続き、英国全土で国民が2分間の黙とうを捧げ、その後、世界の要人が参列してのミサが行われました。葬儀後、棺は再びウェストミンスター寺院から出て、新国王らに伴われ、市民が見守るなか、ロンドン中心部を徒歩で行進。この葬列は、約4千人、長さ2.4キロに及んだといいます。
バッキンガム宮殿前の大通りでは、沿道の人々が、女王の棺に向かって歓声と拍手を送っていました。私たち日本人からすれば信じられないシーンです。その後、棺はウェリントン・アーチで霊柩車に移されウィンザー城に向かいますが、ここでも車に対し拍手したり、花を投げたりする人々が見られました。もはやそうした光景は、国民性の違いや礼儀がどうとかを超え、まさに国民から女王に向けた「愛」の表現であり、女王がどれだけ人々に愛され親しまれていたかを教えてくれるようです。こうして見送られることを、女王もきっとあの朗らかな笑顔で見守っておられたのはないでしょうか。今回の国葬は、女王が目指された国民との距離が見事に示された、最高の儀式だったように感じました。
ちなみに、ウィンザー城に運ばれた女王のご遺体は、城内にあるジョージ6世記念礼拝堂で、夫エディンバラ公フィリップ殿下の棺と並んで埋葬されました。

参考・参照サイト
産経新聞ホームページ
NHK NEWS WEB

未来への希望を示した出来事として

未来への希望を示した出来事として

エリザベス女王の死を悼む儀式は、英国だけで行われた訳ではありません。女王は、カナダやオーストラリアなど英連邦王国(かつて英国植民地で現在は独立主権国家)の君主でもあり、それらの国では、女王の崩御を受け、それぞれに自国の君主として女王を偲ぶ追悼式典を行いました。英国の旧領土だった国々が今日まで君主制を維持したのも、エリザベス女王人気が高かったためだといわれています。
微笑ましいユニークな催しとして、コーギー犬を溺愛していた女王を偲び、オーストラリアのパースでは、コーギーの飼い主たちによる追悼集会が開かれています。女王が飼われていた2匹のコーギー、ミックとサンディーは、国葬の日、ウィンザー城で女王の棺が帰ってくるのを待っていたようです。
女王は馬をこよなく愛し、競走馬を所有していたことでも有名です。日本のG1レース「エリザベス女王杯」は、女王の来日を記念してスタートしましたが、女王は自身の名前の使用を喜んで許可したそうです。JRAでは、女王の崩御に伴い、施設内で半旗の掲揚を行っています。
そうした動物好きの一面もそうですが、女王が誰からも愛された理由は、偉大でありながらユーモアのセンスに溢れていたところが挙げられます。例えば、2012年のロンドンオリンピックの開会式では、映画「007」シリーズのジェームズ・ボンドと共演。今年6月に開催された女王の在位70年(プラチナ・ジュビリー)を祝う記念式典では、コメディ動画で国民的キャラクターの「くまのパディントン」と共演し、一緒にお茶を飲む姿が大きな話題に。その二人の友人、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)とパディントンも、女王の逝去に際し、すぐに追悼メッセージを寄せました。

今回の国葬は、たった一人のために、世界中の人々が同時に祈りを捧げ、尊敬と感謝の思いを一つにした出来事でした。いまの時代だからこそ実現した、過去最大規模の供養の儀式だったといえるのではないでしょうか。そして、まだ人類は思いを一つにすることができるという希望を、女王が私たちに示してくれた日だったようにも思います。最後に、女王に敬意を込めて、くまのパディントンがSNSで発信した追悼メッセージをご紹介します。女王との共演動画でパディントンが言った台詞です。
「女王、すべてのことに感謝します(Thank you Ma’am, for everything)」。

参考・参照サイト
You Tube (The Royal family)
NHK NEWS WEB

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