23/6/14
新型コロナウイルス感染症の様々な制約が解除される中、経済活動も正常化に向かい、街や観光地には賑わいが戻ってきています。映画館もその一つで、現在は大ヒット作が並び、各劇場ともコロナ以前より活況を呈しているような状況です。本記事では、そんな映画館のことに目を向けてみます。
大スクリーンに映し出される映像を、暗闇の中で多くの観客が同時に観て楽しむという観劇スタイルは、映画が誕生した19世紀後半から現在も変わっていませんが、上映形態はデジタル技術の導入とともに近年大きく様変わりしました。ここではそうした変化の過程において、映画館から消えてしまったものにスポットを当て、その後の顛末について供養の視点を交えて紹介したいと思います。
映画館の席に座っていて、ふと後ろを振り向き、後方の壁にある小窓を見たことはありませんか?あの向こうは映画をスクリーンに映し出す「映写室」です。名作映画『ニュー・シネマ・パラダイス』をご覧になった方はご存知だと思いますが、その昔(といっても20年ほど前ですが)、ほとんどの映画館では「映写技師」と呼ばれる職人が「映写室」から映画を上映する仕事をしていました。どのような作業かというと、専門的な詳しい話はさておき、1秒あたり24コマで連続撮影された35ミリフィルムを、巨大な映写機にリールに巻いた状態でセットし、それを回しながら、ランプの光でスクリーンに投影していたのです。
ところが21世紀になって、映画の製作現場では、デジタル方式のビデオカメラを使って撮影し、そのあとの編集や音響、加工等、すべての作業もデータで扱うことが主流になりました。当然、完成した映画を公開する映画館も、それに対応したDCP(デジタルシネマパッケージ)と呼ばれるデジタルデータで上映するようになっています。映画産業の革命です。その煽りを受けてか、富士フィルムは2013年に映画撮影用・上映用フィルムの生産を終了。映画がフィルムで製作されなくなり、上映されるフィルムも激減したことで、ほとんどの映画館では、運営そのものが合理化され、現在「映写室」の中は「映写技師」がいなくなり、ほぼ無人となってしまいました。特にシネマコンプレックス(複数のスクリーンがある劇場、通称シネコン)では、映写がWi-Fiでネットワーク化され、これまで映写室で行なってきた上映のスタートやボリュームなどの調整まで、タブレットやノートPCで遠隔から行う劇場が増えてきています。デジタルの普及により、映画館の上映環境が何もかも根本から変わってしまったといっても良いかもしれません。
進化は同時に喪失も伴います。映画一本一本をフィルムと映写機で上映していたアナログの映写スタイルから、デジタルのDCP上映に変化する中で、かつて人々を楽しませ、感動させてくれた「フィルム」というアナログな媒体は、今どうなっているのでしょうか。
参考・参照サイト
TECHNOLOGY ブログ
ユニコブログ
先日公開されたインド映画『エンドロールのつづき』では、映画の虜になった少年の目を通して、映画大国インドの映画産業がデジタル化に変わる様子が描かれていました。映画館が取り壊され、業者に引き取られた映写機が分解されてスプーンの材料になったり、回収された上映フィルムがブレスレッドに姿を変えたり…。作品中に描かれたように、デジタル化によってそれまで映画を支えてきた様々なものが必要とされなくなり、消えてしまったのは間違いありません。この映画はフィルムに対する哀悼の思いに満ちていて、内容自体がアナログの映画産業に対する供養のようなものでした。こう書くと、デジタル化がフィルム映画を駆逐した悪者のような印象を与えてしまいそうですが、そういう訳ではありません。
昔の映画は、撮影後に現像した“オリジナルネガ”と、それを映写用に変換した“インターポジ(マスターフィルム)”の二つが大元のフィルムでした。映画館の上映には、さらに“インターポジ”をもとに作った“インターネガ”と呼ばれるフィルムから焼いた“プリント”(35ミリの映写用ポジフィルム)が使われていました。つまり昔は、オリジナルから数えて4番目の複製映像が映画館で公開されていたのです。プリントは、例えば全国公開作品なら100本以上作られ、2時間作品でリール巻きのフィルムを収めたフィルム缶が6個分あったので、映画館の映写室は重くてかさばるフィルム缶にいつも埋め尽くされていました。
ところで映画館での上映が終わって役目を終えたフィルムたちは、その後どうなっていたのでしょうか。当時、映画館は上映するフィルムを映画会社からお金を払って借り、映写期間が過ぎれば返却していました。映画会社に戻ったプリントは、契約が切れるまで倉庫で保管され、それ以降は名画座などへの貸し出しや再上映用に良好なプリントだけを数本残し、あとは基本的に専門業者に頼んですべて廃棄処分されました。保管場所に限界があり、所有しておくと資産とみなされ税金が掛かるのも理由でした。初期の頃はフィルムに含まれる銀を抽出する目的もあったようですが、後年は裁断した後、リサイクル材料にするか焼却されました。つまり上映用フィルムは、デジタル化と関係なく処分によってもともと数が少なかった上に、フィルムで上映する映画館も激減したため、最近はほとんど見なくなったのです。
参考・参照サイト
『エンドロールのつづき』公式サイト
ホームメイト用語集
デジタル化は映画を作る側にも、上映する側にも変革をもたらしました。ただ、大衆に娯楽・芸術・文化を提供するという、映画の価値そのものは以前と何も変わっていません。むしろ画質や音響といった観る側の環境も向上させ、また、フィルムでは難しかった過去作品の保存、管理、複製も、データ化によって簡便化されたのは間違いないでしょう。次代に映画の価値を遺し、そこに込められた先人たちの功績に感謝し、その情熱や想いを大切に継承していくという点においては、供養の精神に通じることから、ある意味、デジタル化そのものが、これまでのフィルムの貢献を称える供養だといえるかもしれません。
一方、いまでもフィルムでしか実現できない表現にこだわる映画作家や、フィルム映画の質感を求める映画ファンがいるのも事実。それは供養というより“ノスタルジー”に近いかもしれませんが、大切なのは、失われたことを嘆くのではなく、フィルムの発表の機会や楽しむ場を、今後も守っていくことではないでしょうか。現在も頑張ってフィルム上映にこだわる名画座やミニシアターは、僅かですが全国にまだあります。興味を持たれた方はぜひ足をお運びいただき、フィルム独特の味わいや良さを知っていただけたらと思います。
フィルム以外では、アナログ時代の映画館で使われた映写機や座席などが廃棄されず、必要とするホールや施設に引き取られ活躍しているケースも多いです。また再利用による商品化で、フィルム時代の思い出を大切にする映画ファンから喜ばれている取り組みも見られます。どれも先人たちの想いを引き継ぐ意味では、供養の一つの形といって良さそうです。最後にそのうちのユニークな取り組みをご紹介しましょう。映画館の閉館やリニューアルで、不要になったスクリーンを再利用した雑貨コレクションの販売が先日発表され、話題を呼びました。通常、スクリーンにはスピーカーの音を通す小さな穴が開いていますが、その特性を活かした商品であることが魅力の一つ。ラインナップはポーチ、トートバッグ、ブックカバー。サイズやカラーも各種展開し、系列の映画館やオンラインで取り扱っているようです。ファッションという違った切り口で、映画ファン以外の人々にも、過去の映画館の功績に目を向けさせる興味深い企画です。これも供養の新しいカタチといえるかもしれません。
参考・参照サイト
東京テアトル 『SCRE:EN』
LIFE IS GOOD (LIG)