全国の供養慣習めぐり ~ 大分県の巻 ~

25/7/9

都道府県ごとの供養の慣習や行事をご紹介する不定期シリーズ。その第8弾として、今回は別府温泉や由布院温泉で有名な九州地方・北東部に位置する大分県を取り上げ、県各地の供養にまつわる伝統的な行事やユニークな話題をご紹介します。その歴史や由来、そこに込められた先人たちの想いを知ることで、供養についてさらに興味を深めていただければと思います。

豪華な「御殿灯篭」で故人を供養

豪華な「御殿灯篭」で故人を供養

大分県宇佐市北部の長洲地区には、初盆を迎える家が8月13~15日にかけて「御殿灯籠(ごてんどうろう)」と呼ばれる特有の豪華絢爛な灯篭を飾って、亡くなった人の霊を慰める伝統行事があります。新仏が宿るとされる「御殿灯籠」は、幅およそ3m、一畳ほどの台座に、神社仏閣や五重塔などに見立てた模型を据え、周りに金銀の飾りをちりばめ、山や川、お坊さん、松や梅などを模した飾り物を配置したものです。5月頃から、工房の職人によって木や紙を材料に手作業で作られ、中には1基80万円ほどする灯籠もあるそうです。
この伝統的な供養の行事は、もともと源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れ、逃げ延びた平家の落人がこの地に住み着き、京の都を偲んで華やかな灯籠を作って平家一門の霊を慰めたのが始まりとされ、「長洲の初盆行事」として国の選択無形民俗文化財に登録されています。
長洲地区の初盆を迎える家庭では、8月12日までに墓参りを済ませ、13日になると巨大な「御殿灯籠」を仏間などに飾り、亡くなった方を盛大に迎えます。灯籠はお盆最終日の15日午前まで飾られ、その間、親類縁者が訪れてお供物をして供養します。午後になると、親類縁者が再び集まり、友人や近所の人たちとともに「御殿灯籠」を担いで、太鼓をたたき、死者の霊を慰める盆口説(ぼんくど)きを歌いながら、故人の生前の馴染みの場所を皆が笑顔で巡ります。そして、共同墓地まで辿り着くと、墓前で豪華な灯籠に惜しげもなく火がつけられ、皆で炎に包まれていく様子を見守りながら故人の霊を見送ります。
祭りのように賑やかな夏の風物詩として今も受け継がれる、この平家伝説に由来する「精霊送り」の行列。かつては「御殿灯籠」が70基ほど作られ、墓地までの道中が観光バスで訪れた見物客で賑わいを見せていた時期もあったそうです。しかし近年は、核家族化や盆供養の簡素化、費用の大きさなどから灯籠の数が減り、現在は一桁台になっているといいます。10軒近くあった工房も、職人の高齢化、後継者不在もあって、今は1軒のみとのこと。最近は、地域の有志たちの活動で、貴重な供養行事を守り続けているようです。「長洲の初盆行事」に限らず、各地の供養の儀式を次の時代に受け継いでいく人手や資金の確保は、現代日本の大きな課題といえるでしょう。

参考・参照サイト
文化遺産オンライン

戦国時代から続く供養の舞い

戦国時代から続く供養の舞い

引用
津久見市観光協会-津久見イメージライブラリ

大分県の東海岸、豊後水道に面した津久見市では、郷土芸能として踊り継がれる「津久見扇子踊り大会」が毎年8月下旬に開催されています。平成24年に県の無形民俗文化財に指定されたこの踊りの始まりは、約450年前の戦国時代まで遡ります。
その頃の津久見市は、キリシタン大名として知られる大友義鎮(宗麟)が治めており、島津との壮絶な戦の中で亡くなった多くの武士や農民の供養のために、扇子踊りが生まれたと伝えられています。有名な地理学者・伊能忠敬が測量のため、津久見に立ち寄った際、地元民が扇子踊りでもてなしたというエピソードも残されています。
扇子踊りは、もともと市の北部地域において、お盆の供養の踊りとして町内単位で踊られており、それらが合わさってビッグイベント「津久見扇子踊り大会」になったそうです。京舞の流れをくむ扇子踊りは、浴衣、足袋、帯、襦袢、編み笠などを身につけた踊り手が、手にした扇子を八の字にひねって回す華麗な所作で列をつくって前に進んで行きます。元来は武士の踊りで、振り付け一つひとつの動作にすべて意味があるとされ、合わせ鏡で出陣の身支度をしたり、馬に乗って弓を力強く射たり、敵との斬り合いや「エイエイオー」の勝ちどきの声をあげる様子などが見られます。戦国時代の勇壮な武士の所作と、美しい扇子の舞いとのコントラストが印象的です。
「津久見扇子踊り大会」には、市内の大人から子ども会まで多くの市民が参加します。踊り保存会の人たちや、市から認定された「扇子踊り娘」を中心に、幾重もの輪を作って、市内の事業所や地域グループの団体ごとにそろえた浴衣やハッピをまとい、色鮮やかな扇子を持って優雅に躍る姿に、毎年、訪れた人たちから大きな拍手が送られています。戦国時代の戦で亡くなった多くの民や兵を弔うために始まった、この格調高い踊りが、現在まで地元の方々に郷土芸能として引き継がれていることは、供養の継承の形として一つの理想といえましょう。
「津久見扇子踊り大会」は、今年も8月30日(土)に大勢の市民や見物客を集めて華やかに開催される予定です。皆さんも機会があれば、夏の終わりに繰り広げられる豪華絢爛な「扇子踊り」で、450年も続く供養の思いに浸ってみてはいかがでしょう。

※2025年の「第62回 津久見扇子踊り大会」の詳細は下記津久見市観光協会のHPをご覧ください

参考・参照サイト
津久見市観光協会

国宝の石仏群に感謝を示す荘厳な祭り

国宝の石仏群に感謝を示す荘厳な祭り

大分県は、自然の岩壁や露岩などに直接彫られた“磨崖仏(まがいぶつ)”という仏像の数が日本一の県です。県内に約400体存在し、全国の半分以上を占めます。その背景には、約9万年前の阿蘇山大噴火の火砕流でできた柔らかく彫りやすい地層があり、県内各地に仏教文化が広がっていたことも、石仏が多い理由のようです。“磨崖仏”の中でも、県の東海岸に位置する臼杵市の山肌に刻まれた石仏群「臼杵石仏」は特に有名です。
「臼杵石仏」は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたといわれ、“磨崖仏”の規模と数、彫刻の美しさが認められ、我が国の代表的な石仏群として61体の“磨崖仏”が国宝に指定されています。石仏群は全4エリア(ホキ石仏第1群、同第2群、山王山石仏、古園石仏)に分かれており、石段を登って山沿いの道で出会う表情豊かな仏像の姿は、それぞれ芸術的にみても傑作ばかりといわれています。
臼杵市では、この「臼杵石仏」のご加護への感謝を込め、毎年8月の最終土曜日に、石仏がある深田地区で「国宝臼杵石仏火まつり」が行われています。この祭りは、約800年前から地元に伝わるもので、盆に帰ってきた先祖への送り火、石仏の供養、害虫除けを願う虫追いの行事を兼ねた「地蔵祭り」を、昭和34年から大規模な火祭りに発展させたそうです。
祭り当日は、「臼杵石仏」の向かいにある満月寺で供養の読経が始まり、夕方、各戸から五本ずつ、約1000本の松明があぜ道に等間隔で並べられ、日没後の19時になると太鼓の合図で一斉に点火されます。深田地区一帯が一面火の海になり、61体の“磨崖仏”が松明の灯りやかがり火に映える景色は幻想的かつ神秘的で、まさに幽玄の世界。開催当日、満月寺の境内では、臼杵踊りも奉納され、松明の火が消えるまで続けられます。 供養の精神が息づくこの「国宝臼杵石仏火まつり」は、もちろん今年も深田地区一帯で開催される予定です。800年も続く石仏の里の神秘な灯火に包まれながら、供養の気持ちを見つめ直してみるのも意義あることかもしれませんね。

※2025年の「国宝臼杵石仏火まつり」は下記の要領で開催されます。

◆日時
令和7年8月30日(土)17:00~21:00
※少雨決行(荒天の場合中止)
◆場所
国宝臼杵石仏周辺

参考・参照サイト
国宝臼杵石仏

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