25/8/25
夏の夜空を鮮やかに彩る花火は、日本人にとって風物詩であると同時に、心の奥底にある懐かしい記憶や想いを呼び覚ます特別な情景でもあります。しかし、美しい花火は、単なる娯楽や祭りを盛り上げるための演出ではなく、古くからそこに「供養」や「鎮魂」の意味が込められていたことをご存知でしょうか。今回は、花火と供養の深い関係について、歴史的背景や現代における具体例を交えながら考えてみたいと思います。
日本では、古来より「火」は清めや祓いの力を持つとされてきました。神道においても、「火」は穢れを焼き尽くし、神聖な世界との橋渡しをする媒体であると考えられています。その意味で、花火が夜空に燃え上がる瞬間は、日本人にとって、ただの視覚的な美しさではなく、何かを送り届け、また何かを祓う儀式的な意味を帯びている特別な光景ともいえます。
花火大会が夏の時期、特に、お盆の時期に行われることが多いのは、祖先の霊を迎え・送り出す「お盆」との結びつきがあるからだといえましょう。お盆期間(一般に7月もしくは8月の13日から16日の4日間)のなかで迎え火、送り火という風習が残る地域も多いですが、京都の「大文字焼き」がお盆の送り火として行われているのと同じように、花火も「供養の火」という側面を持っているのです。霊を迎え、感謝し、再びあの世へ送り返す。その過程に花火が使われることは、自然な文化的流れなのかもしれません。
花火そのもののルーツは古く、中国では紀元前の時代に花火の原型といえる狼煙(のろし)を通信手段に利用していたそうです。日本に花火が伝わったのは16世紀で、本格的に広まったのは江戸時代初期といわれています。特にその起点として有名なのが、1733年(享保18年)にときの将軍・徳川吉宗が両国橋のたもとで執り行った「水神祭」です。この年、江戸では前年に起きた大飢饉と疫病のため、多くの人々が命を落としました。犠牲者の霊を慰め、疫病退散を祈願するため、隅田川で法要とともに花火が打ち上げられたのが、日本における本格的な花火大会の始まりとされています。当初は派手な演出よりも、鎮魂や供養、災厄を払う意味合いが強く、花火が一発打ち上がるごとに、観客の間では手を合わせる人もいたそうです。
この花火大会は、後に「両国川開き」と呼ばれるようになり、戦争などで一時中断することはあったものの、1978年(昭和53年)に場所を上流に移して、「隅田川花火大会」という名称で復活し、現在も多くの人々に親しまれています。「隅田川花火大会」は、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を慰霊し、平和を祈念する「隅田川とうろう流し」とともに、東京の夏の夜を彩る鎮魂のイベントとして、未来永劫、後世に残し伝えていきたいものです。
日本全国で開催される花火大会は大小含めて1000に及ぶともいわれ、「供養の花火」をテーマにした花火大会やイベントも各地で開催されています。代表的な例としては、新潟県長岡市で毎年8月に行われる「長岡まつり 大花火大会」が挙げられます。日本三大花火大会の一つとして知られるこの花火大会の起源は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)8月1日の長岡空襲に遡ります。空襲によって市街地の約8割が焼失し、約1500名の尊い命が失われました。終戦の翌年(1946年)、市民の復興への希望と空襲で犠牲となった人々への慰霊の想いを込めて、「長岡復興祭」が開催され、そこで花火が打ち上げられたのが始まりです。この平和と復興への祈りが、現在の「長岡まつり 大花火大会」の根幹となっています。
毎年、空襲の日と同じ8月1日に行われる長岡の花火大会。その特徴としてまず挙げられるのが、その規模と演出の壮大さです。信濃川河川敷を舞台に、2日間で約2万発以上の花火が打ち上げられ、多くの観客が亡くなった人々への思いを静かに胸に抱きながら、その壮大な光景を見上げます。中でも「フェニックス」は象徴的な演目で、音楽とともに全長2kmにも及ぶワイドなスケールで花火が打ち上げられ、観客を魅了します。また、慰霊と復興を象徴する「白菊」は、静けさと荘厳さの中に平和への願いが込められた花火として、多くの人に感動を与えます。
「長岡まつり 大花火大会」は、市民と一緒に創り上げられている点も大きな魅力です。企業や個人からの協賛により「メッセージ花火」が打ち上げられ、それぞれに込められた想いやストーリーがアナウンスとともに紹介されます。このように長岡花火は、地域と人々の想いが一体となった花火大会なのです。
現在「長岡まつり 大花火大会」は、全国から多くの観光客が訪れ、毎年100万人を超える動員を誇る一大イベントとなりましたが、その根底には今も「慰霊」、「復興」、「平和」という変わらぬ願いが息づいています。きっとこれから先も、長岡空襲で亡くなった人々の慰霊を目的として、過去を忘れず、未来へ繋ぐ平和への祈りの花火として、多くの人々の心に深く刻まれ続けていくことでしょう。
東日本大震災以降、東北の被災地では、慰霊と復興祈願の意味を込めた花火大会が多数開催されています。たとえば岩手県陸前高田市の「三陸花火競技大会」や、福島県いわき市の「いわき四倉花火大会」では、犠牲者への追悼と未来への希望が込められた花火が夜空を彩ります。こうした花火は、ただの娯楽ではなく、地域の人々の心を結びつけ、悲しみを共有し、癒す力を持っているといえましょう。
なにも盛大な花火大会だけが、この世を去った多くの御霊を慰める迎え火・送り火の意味を持っているわけではありません。長崎県では、お盆の時期に故人の墓前で家族だけの“花火大会”を行う独特な風習があります。お墓参りの際、家族や親戚が集まり、供え物や線香を捧げた後、手持ち花火や爆竹を使って墓前を賑やかに彩ります。これは、かつて外国との交流が盛んだった長崎において、人の死を悲しみ、静かに弔うだけではなく、故人を迎え火や送り火と一緒に、明るく迎え、新たな旅立ちとして前向きに送り出したいという、異文化の影響を受けた死生観が根付いたといわれます。
花火は娯楽としての華やかさを持つ反面、一瞬で消えます。しかし、その一瞬にこそ、人は多くの意味を込めることができ、私たち日本人は火と光を通じて、祈り、願い、弔いの心を昔から捧げてきたのではないでしょうか。供養としての花火は、宗教的な枠を超えて、人々が自然な形で「弔い」と「祈り」を行う普遍的な行為です。それは、夜空を彩る花火の一瞬の輝きに、言葉にできない感謝や愛情、喪失の悲しみを込める、私たちの「忘れたくない想い」を刻みつける文化といえます。
今年はもうお盆が過ぎましたが、花火大会はまだまだこれから行われる地域も多いかと思います。夜空に咲いては消える花火を見上げながら、大切な誰かのことを思い出してみてください。そうした小さな心の営みが、供養の心を次の世代へと静かに継承していくのだと思います。